紫雲

しうん

坊守がお寺から撮影した夕日

紫雲とは紫色の雲の事で 辞書によると

めでたいしるしとされています

平安時代の浄土教において この紫雲は

臨終した者が浄土へ往生した証として出現すると考えられていました

なぜなら紫雲に乗って阿弥陀如来と観音勢至などの菩薩方が来迎されるからです

平安時代の高僧や貴族などの伝記には

臨終時に紫雲をはじめ様々な奇瑞が

現れた様子が描かれることがあります

対して親鸞聖人の伝記『御伝鈔』に

聖人の臨終時にそのような奇瑞が現れたという表現は一切見ることができせんが

これは聖人が往生できなかったということを意味するものではありません

親鸞聖人の『御消息』には

 

「真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。

このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。

信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず。」

 

臨終にならないと浄土に往生できるかどうかわからないのであれば

生きている今は不安でしかないと思います

けれど聖人が教えてくださったお念仏のみ教えは

いのち終えるときになってはじめて救われていく教えではありません

お念仏いただいている今この時に 阿弥陀如来がしっかりと

なにがあろうとも決して見放さない 裏切らない

いついかなる形でいのち終えようとも私が必ず浄土へ迎えとると

この人生を共に歩んでくださっておられます

臨終になってはじめて紫雲に乗って阿弥陀如来が来迎されるのではありません

声の仏となって 今ここに一緒におられる阿弥陀さま

だからこそ 大きな安心をいただけるのです




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コメント: 1
  • #1

    中村宏述 (土曜日, 07 8月 2021 09:41)

    西方浄土から見守っていただいてる阿弥陀如来様を迎える風景に見え、右上の多分カーブミラーだと
    思いますがむかえさせていただく私たちと勝手に思いました。
                               南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏