大蛇済度

野州花見ヶ岡大蛇経鱗

やしゅうはなみがおか だいじゃの きょううろこ


野州花見ヶ岡大蛇経鱗

野州 ヤシュウは 下野国 つまり現在の栃木県の別称で 花見ヶ岡は 下野市国分寺の地名です

親鸞聖人 関東ご在住の頃は 現在の茨城県笠間市稲田にあったご草庵を中心に布教しておられましたが

直弟子二十四輩の内  栃木県真岡市高田の真仏上人を中心とした 高田門徒の地に 親鸞聖人の御旧跡が多く点在しているそうです

それら親鸞聖人ゆかりの地については 筑波大学名誉教授 今井雅晴先生が 下野と親鸞という書籍に 詳しく書いておられます

この花見ヶ丘岡という地名は 栃木県下野市花見ケ岡にある 浄土真宗本願寺派の蓮華寺にその由来があります

環境庁と栃木県が設置した門前の看板によると

昔 嫉妬に狂った女が 夫と妾を食い殺し 大蛇と化し村を苦しめていた

村人は 毎年 娘を一人いけにえとしていた

ある年 大沢掃部 おおさわかもん の一人娘がこれにあたったが

この地を訪れた親鸞聖人が 念仏を唱えたところ 呪念は晴れて極楽往生をとげ 娘は救われました

この時 天から蓮華の花が降ってきたので この地を花見ヶ岡と言い

救われた娘が草庵を建てたのが 蓮華寺であると言う

のだそうです


また 親鸞聖人の大蛇済度の話は 関東の浄土真宗寺院に多々見られるようで

この時の大蛇の頭骨が 茨城県結城郡の 真宗大谷派弘徳寺に寺宝として現存しているそうです

また 茨城県下妻市の大谷派光明寺や栃木県小山市の大谷派紫雲寺 さらに山梨県大月市にも同様の伝承が残っています

また済度する方法として 念仏を唱える 南無阿弥陀仏と書いた名号を蛇に貼る 三部経を読む 経典の文字を一字一字石に書き込み池に沈める またはその石で塚を作るなど 多様に伝承されています

大蛇とは  昔は川の守り神としてまつり その大蛇が怒った時に 洪水などの水害がおこると考えられていたそうです

そうしてみると 大蛇は川を表してるのかもしれません

そのようにして 当時の様子を想像してみると それはそれで 確かに興味深い見方なのだとは思いますが 

物語は物語として見ることで 開けてくる世界観もあるように思います

親鸞聖人と蛇と聞いて 私が真っ先に思い浮かべるのは 悪性さらにやめがたし 心は蛇蠍のごとくなり という御和讃です

ヘビやサソリの如く煩悩の毒を含んでいるから 相手を傷つけずに生きることなどはできない

聖人が ご自身の姿を厳しく見つめぬかれたがゆえのお言葉でしょう

親鸞聖人の目には 嫉妬に狂う大蛇の姿が ご自身の内にある大蛇と重なって見えていたのではないでしょうか

大蛇が苦しむさまは 決して他人事ではなかったのだと思います

劇中のセリフでは

わしのような悪人でも念仏を申してもよいのか…

という大蛇の言葉に対して

はい 念仏は愚か者の称えるものでございますれば

とお答えになられ なもあみだぶつ なもあみだぶつ…と共にお念仏をいただいておられました

生贄の娘 大蛇 親鸞聖人

この情景は あたかも法然聖人と親鸞聖人が出会われた時のことを思い出させます

親鸞聖人は比叡山で20年に渡るご修行の中 蛇の毒がごとき煩悩を断つことができないご自身の姿に苦しみ

絶望の淵で 比叡山を降り法然聖人の元をお訪ねになられました

そのおり法然聖人は

ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし

と 阿弥陀さまにおまかせして お念仏を称えなさいと申されたのでした 

煩悩を断つことができない愚者を目当てとして そのまま救うと誓って下さった 阿弥陀さまに おかせしなさいと・・・

 

大蛇は大蛇のまま救う そのまんま救うと よびかけて下さる 阿弥陀さまの深いお慈悲を お聞かせいただきました