父は 寺の長男として生まれ 戦後 銀行員として生きてきた僧侶です
私が得度習礼に出かけるとき
親が死んでも 連絡せんからな
と言って 送り出してくれました
僧侶として生きることの意味を 伝えたかったのだと思います
両親の金婚の記念に 弟家族と一緒に温泉へ出かけたことがあります
あれが 最初で最後の家族旅行だったように思います
それほど 仕事に生きた・・いわゆるモーレツ社員だったのです
あの旅行をきっかけに
幕張に住む決心をしてくれました
やっと 生来のお寺さんに戻れたのではないかと思います
それ以来 自分のお葬式は このお堂で・・・
と思い定めていたようでした
受付は 三人の門徒総代さんが引き受けて下さいました
母も泣きながらお焼香しました
母の弟 大願寺さんも助音について下さいました
白骨章の拝読
家族を代表して挨拶・・・
目が霞んで 原稿が読めません
こんな時に 思い出さなくても良いのに
病室でみんなを笑わせてくれたことばかりが
思い出されます
あれが 父の荘厳だったのかと
思はずにはおられませんでした
ご法中もお見送り下さいました 有難うございます
ご門徒さんも お見送り下さいました
有難うございます
御本山から 会行事の丸岡さんもお焼香に来て下さいました 本当に有難い事です
還骨勤行が終わって・・・
何故だか
寶満寺の小山さんが
親のお葬式は 孫の祭りですからねっ
と よく言っておられた事を思い出しました
今 父の嬉しそうな声が聞こえたような気がします
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